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カゴメまろのケロケロ雑記

東方とポケモンと科学の雑談が多いブログ

6月号の鈴奈庵の感想

一昨日発売の鈴奈庵「狐狗狸さんは桜と共に散りぬ」の感想というか考察擬きが書き終わったので載せますww

先ず、こーりんがウィジャボードについて語ってる所。後編では最初から魔理沙も小鈴ちゃんもずっとスルーしてたのがすごいと思いました。しかも小鈴ちゃん本人は録に話聞いてないのに親が心配するから帰りたいって主張できる所もすごいと思う。ぼくにはとてもできない。タウ十字架に関してはこーりんよりもプロットを書いてる神主の方がすごいと思いました。

それから親が心配するから帰りたいってセリフは単にこーりんがめんどくさいから抜け出す為の口実って場合と『曰く付きの艶書』で妖魔本が原因で博麗神社に担ぎ込まれたり、前回の『著者不明は容易く盗まれる』で妖怪が鈴奈庵に乗り込んで来た事があったから親に妖魔本を人質に取られてて従わざるを得ない状況なのかなと思う。親からしたら変な字を読めるようになってる娘が恐ろしく思えるだろうし。

所で、前編の感想で書くべきだったけど、こっくりさん見る限り里の人ってワ行の"ゐ"と"ゑ"使ってないのね。"ひななゐ"とか"てゐ"とかあるから普通に文語が生きてるとばかり思ってました。

「オン ウィジャ ウィジャさん シッチソワカ」って言葉は最早英語なのかラップなのかわからない所がまた面白かったです。もしかしたらシッチソワカは般若心経の「菩提薩婆訶(ぼじそわか)」みたいなお経が由来かもしれないけど。

霊夢が来るなり瞬時に土下座する小鈴ちゃんもかわいいと思う。気絶してて霊夢本人からは聞いてないにしても占い回の一件で小鈴ちゃんも霊夢に警戒されてるのわかってるからこの反応なんだろうけど。でも別な見方をすれば調教されてるとも取れr(ry

所で、皆さんは「こっくりさん」が霊夢の吹き出しの時だけ漢字で「狐狗狸さん」表記だったことに気付きましたか? 最初は巫女だから舶来のマジックアイテムの知識も偶然あったのかなって思ってたんですけど、これって霊夢が巫女だから必然的に阿求やこーりん以上に降霊術や降神術の類を知っていたから、ウィジャボードのことも狐狗狸さんのことも熟知ってことなんじゃないだろうか。そう考えると前号で1コマも登場しなかった霊夢ウィジャボードの名前も使い方も知ってたことが頷けるし、「決してシステム化できない本物の巫女にしか出来ない」ものだって豪語してたのも納得できるし。

そして、最後のコマの「私もあっち側にいけるのかな」って(本人曰く低俗な)質問の真意はなんなんだろう。霊夢を恐れてるけどやっぱり妖怪側に行きたいのか、華扇みたいに外に世界行ってみたいのか、死後に天界に転生したいのかと疑問が尽きないですが、俺的には最初の妖怪になりたいって質問かなって思いますね。何故なら、前編で数少ない友達の阿求の命が短いから~って行ってたし、転生した10代目の御阿礼の子にも会いたいと思いがあるだろうし、妖魔本に触れるうちに必ずしも妖怪が悪だとは思わないようになってきてるし。っていうか誌上で読んだ『狐疑逡巡する貸本屋』の最後のページの「人間と妖怪の間で少女は想う――」ってもう既に妖怪側に片足突っ込んでるんじゃないだろうか。f:id:super-maro-rpg:20150427162355j:plain(※↑写真左のタイトルは誤字。正しくは「狐狗狸さんは桜と共に散りぬ」でした)

余談だけどこの話の龍神の像のある広場で遊んでた子達って『狐疑逡巡する貸本屋』で出てきたモブだよね。狐の子はいなかったけど名無しのキャラも一人の幻想郷の住人として再び描いてくれるもえ先生はすごいと思う。f:id:super-maro-rpg:20150427163148j:plain

あとこの話って深秘録の異変とリンクしてるけど、今月号は
霊夢が小鈴ちゃんに噂を制御する噂を広めるように言った
→小鈴ちゃんもなんとなく程度でも異変に気付いている?
→なんとなくじゃ自機は厳しい?
・鈴奈庵に神霊が山ほどいたのに霊夢は今まで気付かなかった
→以前はいなかったのでは?
→異変は鈴奈庵も関係してるのでは?
って点から、深秘録でマミゾウさんみたいに小鈴ちゃんが登場する可能性はほぼゼロだと予想してみる。が、深秘録のあのノストラダムス疑惑のシルエットが鈴奈庵の神霊と関係してると仮定すると、EDではまだ可能性があると思いました。

H/K
モブを確認するために『狐疑逡巡する貸本屋』を読み直したんですが、障子に書かれてた「発微算法」とか「活要算法」って語が眼に停まったので調べたことがあったんですが、それによると両方共江戸時代の天才数学家「関孝和さん」の著書でした。内容は雑に調べたところ発微算法が「連立多元高次方程式など」、括要算法(「活要」は恐らく誤字)は「級数の和、ベルヌーイ数など」とか大学の数学科の人も習わなさそうな高度な算学を教えてたのかって一瞬驚愕しましたが「延宝8年」が関さんの存命期間と一致したので調べてみたら彼が「授時発明」という書物を刊行した年のようなので、算学線は消えて歴史の線が最有力になりましたとさ。